三車秘旨(45)収心法を問う

 三車秘旨(45)収心法を問う

(本文)

人身における五臓には本来それぞれの位置があり、そこから移動させることはできない。道家では『乾坤坎離の転倒』をいうが、どうして心を下に移動させることができるであろうか。腎を上に移動することができるであろうか。そうしたことは不可能である。いうところの『転倒』とはつまり心と腎の働きとしての神と気のことである。心神は下に向かって行き、腎気は上に向いて行く。つまり神と気が転倒するのであって、形を有している心と腎とをどうして転倒させることなどできるであろうか。形が無い乾坤であればこそすべからく転倒させることができるのである。

(解説)

ここでは「転倒」について述べている。転倒は静坐ではひじょうに重要な概念とされる。ひとつにはここに触れられているようなこともあるが、つまりはあらゆる後天の「事象」は「逆転」させることが可能であると考えるわけである。ただそれは物的には不可能であるが、形を持たない観念の世界においては実に容易とされる。考え方を変えればダイヤモンドもただの石であるに過ぎないし、どのような社会的に高い地位にある人も、人であることにおいては何ら特別ではない。多くの「価値」は実はどのようにも「転倒」させることができるものなのである。重要なことはそうしたことにとらわれて自分自身を損なわないようにすることにある。


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