三車秘旨(46)収心法を問う
三車秘旨(46)収心法を問う
(本文)
転倒し交わって、坤の中に一陽が生まれて坎となる。乾の中に一陰が生まれて離となる。離女と坎男が交わるのである。これは西方の兌女が東方の震男と交わるということでもある。あるいは南北を移して東西となる。(五行説では水生木、火生土、土生金であるから)水と火が変じて金木となる。金情と木性は白虎と青龍である。龍と虎が交わるのは、タ(女に宅の字。乙女の意であるが、ここでは「汞」をいう)が嬰(鉛)に投じるのと同じである。虎と龍が交わるのは、嬰がタに投じるようなものである。タと嬰とはつまり性と命の二物である。命の中に性があり、性の中に命があるのであるから二物はつまり一物となる。そうであるから張紫陽先生は『震兌は東西ではない。坎離は南北ではない』と言われているのであるが、はたしてよく理解できるであろうか。
(解説)
ここでは性と命の交わりが、いろいろな言い方で表されることを示している。そして結局は「震兌は東西ではない。坎離は南北ではない」とあるうように表面的な理解にとらわれるのではなく、その根本にあることを知らなければならないとする。つまり性も命も最終的には「玄=杳冥」たるもののひとつの現れに過ぎない。玄はあらゆるところに存している。それを「如何に気づくか」という問題意識の下で、いろいろな方法が考えられ、いろいろな表現が生み出されて来たわのである。そうであるので結局はただ坐って「杳冥」たる境地が現れるのを待てば良いだけのことなのである。
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