三車秘旨(49)収心法を問う
三車秘旨(49)収心法を問う
(本文)
至人得道は仙に生まれて、仙に死する。形を残したままあの世に行くようなものであり、(死体を残すことなく仙界へと消えて行く)尸解登真の類はそれである。仁たればよく静であることができる。生きて長生きができる。曽子の長生き、顔回の短命もまたこの類とすることができる。
道に五失がある。
『上辺だけを知る者』
『名声を慕うだけの者』
『初めは熱心でもすぐに飽きてしまう者』
『あまりに思い込みが強くて、いまだろくに学んでもいないのにあれこれ分かったようなことを言う者』
『才能が無く愚かで、言っても気づかないし、どうやっても分からない者』
道には三得がある。
『道を知る者は霊人というべきである』
『道を好む者は真人というべきである』
『道を楽しむ者は至人というべきである』」
(解説)
最後の五失、三得は静坐を実践する上で実に重要なことである。一般には「真人」を第一と考えることからすれば「道を好む」ということが最も重要であることが分かる。
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