三車秘旨(52)道情詩詞
三車秘旨(52)道情詩詞
(本文)
「またこの世に生まれたことを嘆く」
母の胎内に入り魂の入るを持つ
尊き父母、尊き恩
我が顔貌は父母に似る
やさしく我を抱く(父母は)暖かな笑顔をして
(解説)
人は何かしらの「俗世」とのつながりがなければ生きては行けない。役行者に前鬼、後鬼という夫婦が居て生活の世話をしていたように、山奥で修行をしようとするならばそれをバックアップしてくれる人が居なかればならない。そうでなければ一日が身の回りのことに追われて修行どころではなくなる。こうした誤りは俗世を否定することから生まれる。俗世はそれを否定するのではなく、それを超越することが重要である。偉大なる仙人は市井に隠れているという。なんでもない「普通」に見える暮らしをしている人こそが「俗世」を超越しているかもしれない人なのであり、いかにも修行をしているといった人は「俗世」の否定という捕らわれの中にあるのかもしれない。
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