三車秘旨(68)道情詩詞

 三車秘旨(68)道情詩詞

(本文)

「殺中に生有るとは何か」

鉛を汞へと投ずるは害の中の恩のきわみ

汞が鉛を受けると死の内に生とかかわる

妙宝とは、とらわれのないところに還るが如きもの

神仙の行うこと円満であることなし

(解説)

一般に神仙道の修行は「逆修」と称される。無為であり、自然であることを重視する神仙道において「逆修」の道をとることは矛盾しているように思われるかもしれないが、「順

」を知ろうとするのであれば、あえて「逆」が修せられなければならないとするのが神仙道の修行なのである。ここでも「恩」を知ろうとするのであれば「害」から入らなければならない、「生」を知るには「死」が分からなければならないとしている。「円満であることなし」とあるのは、常に反対のことを考えて一定の形に留まることのないことをいう。


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