三車秘旨(74)道情詩詞
三車秘旨(74)道情詩詞
(本文)
「収心法の道と情についての自説」(1)
もし大羅仙(天帝の側近)となろうと思うなら
どうしても心を煉らなければならない
功名を求めるような乱れた思いを持ってはならない
利欲に引かれるようなことはあってはならない
たとえ一筋でも打算の心が生じたら
烈火をして焼き尽くし「性」を顕さなければならない
ひとつ起これば、ひとつを断ち
ただひたすらに欲望を減らし
けっして増やしてはならない
その心の猿のように制御できないことを恐れ
その意の馬のように暴れることを恐る
(解説)
収心法とは一種の集中法であるが、殊更心を動かないようにさせるものではない。気ままに心は働かせて執着しないのが収心法である。多くの瞑想法では心を一点に集中させるためにいろいろな工夫をするが、なかなか「雑念」を断つことはできない。それは人の心はそれが活動していたならば、いろいろな思い(雑念)が浮かんでくるものであるからに他ならない。そうした心の自然な働きである「性」を知ることが重要なのであって、強いて一定の形に押し込めるようなことは好ましくない。
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