三車秘旨(75)道情詩詞

 三車秘旨(75)道情詩詞

「収心法の道と情についての自説」(2)

(本文)

内功を行い、呼吸を整え、丹田に気を鎮めて、真息を守る

清浄、自然で、杳冥の境地に入り

(汚れたものを浄化するすばらしい火である)祥烟を引き出す

「沖(中庸)」を我が絳宮に得て気の動くを覚え

酔ったように気持ちよく体のどこもかしこも綿のように柔らか


これはまさに我が「降龍」の真訣「斬蛇」の手段

修行者の間では代々伝えられて来たもの

この天機を漏らしてもらうに金銭は必要ない

裕福な修行者は贈り物をして入門するも良かろう

貧しい修行者は縁を得て門に入ることも良いであろう

贈り物をして師事するもの正しいし

縁によって教えを受けるのも清らかな道

(解説)

「降龍」も「斬蛇」も同じ意味で、心を鎮めて「性」を開くことである。こうした内的な事柄の伝授は禅宗に「拈華微笑」の教えがあるように、分かる人でなければ幾ら教えても微妙なところには理解が及ばないものである。拈華微笑では釈迦が花を手にした「機」に摩訶迦葉が何かを感じて微笑んだわけで、花を手にした行為そのものと悟りを結びつけるものはないが、その行為の呼吸、間合いが悟りを示すものであることが釈迦と摩訶迦葉の間で共有されたということである。修行者はただ日々に静坐をして、教えを受けることのできる「機」の熟するのを待つより他にない。いくら優れた師でも弟子の準備ができていないと教えを授けることはできないのである。


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