三車秘旨(76)道情詩詞

 三車秘旨(76)道情詩詞

「収心法の道と情についての自説」(3)

(本文)

私は今まで井戸を掘るようにひたすら修行すること三年

少しばかりの成就を得た

誰が知るであろうか道に反しては時の運を得ることのできないことを

家業は衰え、英雄は短気とな(って命を失うことにな)ることを

丹を練るにはこうしたことに係ることなく

朝から一日、風の吹くまま雲の行くまま、ただに静坐をして海山の彼方に遊ぶだけ

(解説)

家業はそれをただ続けていれば家は繁栄するものであり、英雄はその存在自体が人々の尊敬を受ける。これらは世に優れたものの例えとして挙げられているのであるが、そうしたものであっても「道」を見失ったならば存在して行くことができなくなってしてしまうと教えている。実は「道」を踏まない方が短期的には有利であることも多い。自分の才覚を過度に頼むような人は、「道」を外れて利益を得ることもあるが、結局はその「才覚」により自滅することになる。そうした方法は失敗するまで止められないからである。


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