三車秘旨(77)道情詩詞

 三車秘旨(77)道情詩詞

(本文)

「心神篇」(以下、雑体詩十三首)

その心は明らかなれど

そを用いれば乱る

その神は冥冥たりて

その体はひたすらに安らか

(何もしないで気が自ずから凝まる)

これは古人の不神の神をして神とするもの

(解説)

「心神論」では「不神の神をして神とする」ことが説かれている。神は心の働きを司るものであるが、それを意識しないことが本来の心の働きである「性」を開くことになるのであり。そうすれば自ずから道に外れるようなことはなくなる、と教えている。ただ自分の心の働きが本当に「性」によるものなのか、あるいは後天の欲望によるものなのかの判断は難しい。そこでいろいろな古典を学んで、常に自分は道に外れていないか省みなければならない。これを居敬という。「つつしみ」がなければ結局は欲望のままに暴走することになる。


コメント

このブログの人気の投稿

静坐雑話「道徳武芸研究」ブログ統合に向けて(5)

三車秘旨(93)道情詩詞

静坐雑話「道徳武芸研究」ブログ統合に向けて(4)