三車秘旨(86)道情詩詞

 三車秘旨(86)道情詩詞

「麻碧城氏と衰えたるを蘇るを詠む」 

玄が尽きればつまり子(ね)に出会う

冬の初めに早き春を見る

一陽また来るより

万物は次第に新たなり

雪の山河は輝き

霜が降りることもある

寒きなれば良き果も熟す

橘の酒の露に神は全かり


(解説)

「玄が尽きれば」とあるのは仏教の中陰のようなものをイメージすると良かろう。人が生まれる前の根源の混沌たる状態を「玄」としている。そこから人が生まれるのを十二支の「子(ね)」が始まるとしている。子の刻は夜から朝に向かう時であり、これより陰から陽へと転じる。つまり夜の死から昼の生へと転じると考えるわけである。これと同じく「一陽来復」を迎えるためには、先ずは「玄」への悟りがなければならない。これが「煉己」である。「橘の酒」とはいうならば命を養う酒で、橘の実は古来よりそれを食することで不老長寿が得られるとされていた。


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