三車秘旨(64)道情詩詞

三車秘旨(64)道情詩詞

(本文)

「真心が開かれれば、真種が常に生ずる」

金を木汞へと投じて共に運ぶ

嬰児と少女が出会うのはなんともの快挙

昨夜、麻姑が好き夢をもたらしてくれた

紅丸の一粒を妊むという

(解説)

「金を木汞へと投じて」とあるのは「土生金」「金生水」「水生木」を前提としており、「土」は杳冥(玄)が感得された状態である。これにより先天真陽の気が開かれる(金)。先天真陽の気は「金液」となって(水)腎へと流れ入る。そして腎におい一陽が開かれる(木)ことになる。この一陽は「木生火」で「火」であるから心(離卦=火)へと運ばれる。これはいうまでもなく周天の解説である。嬰児は「男」であるので「坎」であり、坎は腎である。嬰児は先天の気が傷つけられていない純陽を示しており、これは腎の一陽ということになる。少女は離卦(女)で、これは「心」を示している。嬰児と少女が出会うとは腎の一陽が心に入ることをいっている。「紅丸」も一陽であり、それが心に入ることを「妊む」とする。


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