道竅談 李涵虚(319)第三十八章 「不朽」を争う(解説5)
道竅談 李涵虚(319)第三十八章 「不朽」を争う(解説5)
中国では「中庸」が重んじられ、インドや西洋では「真理」が求められた。「中庸」とは適切であることであって、それは場合によって変化する可能性を有している。一方、「真理」は永遠不変のものでる。「易」の最後が「未済」であるのは、そこに変化の可能性を含んでいるからに他ならない。「未済」には「柔が中を得ている」とある。また「剛と柔とが相応じる」ともしている。システムとしての「柔(構造)」がベースであるから、それは剛にも容易に変化をすることができる。そうであるから静坐でも意識を集中させ過ぎることは好ましくない。また教義の刷り込みに用いるような静坐であるのも好ましくない。自由に思いの浮かぶままにしておくのが良いであろう。
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