道竅談 李涵虚(323)第四十章 仙道と仏道を共に修する(本文・上)

 道竅談 李涵虚(323)第四十章 仙道と仏道を共に修する(本文・上)

「性命双修」こそは仙人となり、仏となり、聖人となるための原則である。また、仏道では命を修し、儒道は世を治めるだけのものとされることがあり、またそれぞれ違っているとされるが、それは仙、仏、儒の奥義をよく見極めていないからに他ならない。思うに仏道は確かに性を重視している。しかし、その中には「教外別伝」の教えがある。それは命であって、特に表に示されることはない。仏道で性の功を重んじるというのは、おそらく人は性によって命を立てていると考えられているからであろう。性の及ぶところは極めて広くあらゆるところに及んでいて、およそ及ばないところがない。

仙道は命を重んじる。またそうした中には「教内真伝」の教えがある。それが性でないことがどうしてあるであろうか。仙道では性について長々と説明をしていないだけである。命を重んじる学を修する者は、命によって性の悟りを得ようとしている。よく命根を永遠に固めることができれば、それは永遠に存して、尽きることも窮まることもない。つまり、性をして円満ならしめようとしなければ、立命の修行は成立し得ないのである。つまり真性はそれだけで存在することは難しいのであり、真命の無い真性はついには空寂に帰することになる。これで、どうして生きていくことができるであろうか。


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