三車秘旨(33)収心法への手引

 三車秘旨(33)収心法への手引

(本文)

一切を放下する境地へと入り、人我ともに忘れてしまう。これを「杳冥(奥深い闇)をあつめる(鑽杳冥)」という。杳冥たる中に気が生じる。一神独覚(おおいなる神の働きが開かれて真息を悟ることができる)、これがつまり真息である。真息が発現したのである。これは心を柔らかに癒やし、虚無の竅へと還さしめる。これを修すること長きにわたれば、つまり命の源が育まれ、陽気は自然に養われて、全身の気は滞ることなく周るようになる。

(解説)

さらに「虚」や「空」の境地が深まると真息が開かれる。ここでは心は「柔」を得るとある。老子は人が生まれる時は「柔」「弱」であり、亡くなる時には「堅」「強」となると教えている(第七十六章)。「柔」であれば「命の源が育まれ」とあるのはこうした老子の生命感によっている。


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