三車秘旨(85)道情詩詞

 三車秘旨(85)道情詩詞

「大丹には炉鼎を用いるとされるが、これは煉薬、温養を喩えていったものである。俗人はそれを知らないで、いろいろとまちがったことを考えてしまう。それはあまりに文字にとらわれたためである。ここで私は戯れで炉鼎のことを述べてみよう。取るに足りないことに拘泥している人はよく考えてもらいたい」

兌金十四両は

神仙の鼎とするに足る

そこに癸(みずのと)の中の鉛を取る

我が身中の損したるを補い

紅羅は性の真を養う

丹房は器と皿を好むも

功成れば尽くこれらを捨てる

共に修行をする人をよく考え選ぶに

一東家郎あるや

妙年にてまさに修行を初め

坎離の転倒を転じ

性と情とが共に整う

これ吾が霊父母たり

同じく洞天に入りて隠る

道は一家の仙となる

大羅(神仙の世界)はすぐ近くとなる


(解説)

ここでは炉鼎を男女として、その交わりにより丹を得ようとする誤った教えのあることに注意を促している。「炉」は下丹田でここでは「煉薬」を行い。「鼎」の上丹田では「温養」をする。多くの正しい丹書で「炉鼎は男女ともにある」としていることを見ると誤った説が広く行われていたことをうかがわせる。兌卦は「陽陽陰」で、五行では「金生水」であるから、兌金からは癸(水の弟)が生まれることになる。つまり乾土(陽陽陽)から兌金(陽陽陰)そして癸は坎水(陰陽陰)となるわけである。坎つまり腎の一陽を開くことで炉が開き、心の鼎で変容を促す「丹」を煉ることの可能となる。


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