道竅談 李涵虚(214)第二十四章 「中」の意味(解説4)
道竅談 李涵虚(214)第二十四章 「中」の意味(解説4) 老子が「無欲」であればよく観ることができるとする「妙」と何であろうか。それは予想を超えたものである。武術でも等しく「無欲」で、ただ套路を練っていれば「妙」を観ることができる。禅で「只管打座」を教えるがこれも、ただ座っているだけ、ということであり「無欲」であることを求めている。また「悟りを求めて座るわけではない」とする禅の教えも同様である。ただ、これは仏教の本来の悟りを求めての瞑想修行とは異なるものでもある。